原初感覚による気の感知技術

経絡治療

経絡治療

失われた技術

経絡はそもそも、どのようにして発見されたのか?

あるとき、このような言葉を聞いた。

「人類は必ずしも進化しているわけでは無い。退化している部分もある。文化も同じである。新発見・発明のなかで失われていく技術や文化もある」

もし経絡を発見した技術が現在では失伝もしくは退化しているとしたらどうか?

私が鍼灸学校で習った限りでは、長い長い経験則から、経絡という概念が誕生しすこしづつ整理されていった、という事になっている。
その経験則は特殊な観察機械や特殊能力によるものではなく、通常の人が通常の五感を使って観察し、少しずつまとめていったものだ。

しかし、本当にそうか?

五感(視覚、聴覚、触覚など)を活用して経絡が発見成立したのであれば、その研究課程が文献ないし記録として残っているのではないか、残っていないのは後世の研究者がその発見の過程を全く理解できず、その歴史を破棄してしまったか、もしくは発見者自身がそれを記録して残すことが出来なかったからだ。つまり通常の人間には理解できない技術で経絡は成立していったのではないか?

だが、五感を活用して経絡が発見されたのでは無いと仮定すると、どのようにして経絡は発見されたのか?
人の五感以外の能力とはなにか?仮説としては3つ考えられる。

1、宇宙人が高度な観測機器で経絡を人類に教えた
2、先史文明は現在より高度な科学技術をもっていて、経絡を発見したが
その文明は滅亡し偶然にも経絡学だけが残った。
3、人類には五感以外の経絡を感知する特殊能力があったが、現在ではその能力は退化している

さて、現実的に仮説3が最も有力ではないか?
じつはある人物をとうして仮説3を思いついたのだ。

そのある人物とは鍼灸とは全く関係のない人物だった。

経絡治療って?

経絡治療においては一般的に脈の変化を重視していますが、本当に脈が変化すれば経絡の気の流れが整い、病苦の改善に役立つ事ができるのでしょうか?

答えは「否」です。

脈はちょっとしたことでもすぐに変化します。

試しに皆さん、自分の体の適当なこところに鍼先で刺激を与えてみてください。実際に刺入しなくても結構です。鍼先でチョンチョンと突くだけでかまいません。

どうでしょう?それだけでも脈が変化するのではないですか?

試しにスポーツの準備運動みたいに全身ストレッチそしてみてください。脈が平に近づきます。

じゃあ、本治法をするのと同じくらいの効果がストレッチでもでるのか?と言うと、そういうわけではないのです。

このときの脈の変化は確かにあるのですが、効果は持続しません。
気の滞りを解消して脈を整えた場合の脈の変化は、この実験の脈の変化とは明らかに違うものなのです。

単純に脈が変化すれば症状も変化する、というわけではないのです。

経絡治療を学んでみませんか?

経絡治療は難しい・・・

「脈診10年」と言って、脈を診れるようになるのに10年かかる。
脈だけで10年といわれるように、経絡治療は習得が難しいというイメージがあります。

また繊細な鍼の手技を使いますので、さらに人を選ぶという方もいます。

しかし、経絡治療は難しい・・・本当にそうでしょうか?

習得に10年もかかるのなら、食べていけるようになるのにいったい何年かかるのでしょう?

それでは経絡治療家を志すのは現実的ではありませんよね。

じつは経絡治療はそこまで難しくはありません。

なぜなら・・・

鍼治療において理解すべきことは1つ、

鍼はA+B=Cだということ。

それはどういうことでしょうか?

経絡治療はA+B=C?

経絡治療は古典の理論をもとに体系づけられています。

そして、その理屈が難しいですよね。陰陽五行論から始まる古典の理屈・・・。

その難しさ、怪しさが鍼灸の魅力であり、逆に敷居の高さの原因ともなっています。

しかし、鍼というのは実は単純なんです。

Aという脈状がある、そこにBという鍼の手技をほどこす。すると脈状Aは脈状Cに変化して、病(やまい)は治癒へ向かう。

つまりA+B=C。

これは客観的に観察可能でまた、再現性のある事実、です。

つまり、この部分の事実だけを観察するならば、経絡治療は非常に科学的な医学ということになるんです。

しかしAとBの間になにが起こっているのか?そのあたりがブラックBOXになっていてその理論がわかっていない。

そこで古代の鍼灸師たちは、自然現象の観察のなかからその理屈を考え、さまざまな古典理論が生み出されたのです。

しかし、それらの理屈はあくまで仮説であって、事実として証明されているわけではありません。

さらに仮説ですから、さまざまな矛盾点も存在します。

ですから経絡治療の運用には、実はそこまで難しい理屈を覚える必要はないのです。

経絡治療の運用には事実として確認できる最低限の知識だけあれば、あとはシステマチックに施術できてしまいます。

習ったその日から施術できてしまうのが経絡治療なんです。

しかし、同時に奥も深い。

やればやるほど、その奥深さも見えてくる。

そんな経絡治療ですが、

難しい理屈は後にして、まずは実践してみる、それができるのが経絡治療です。

使える経絡治療、それを目指します。

経絡治療の独特の手技って不思議~!?

経絡治療ではほとんど刺さない鍼をします。

痛みもなく、心地よい鍼です。

それが経絡治療の利点でもあり、同時に敬遠される理由にもなっています。

まず疑問に思われるのが、「そんな軽い刺激で本当に効くの?」

次に、「そんな軽い刺激の鍼で効かせるようになるには、よほどの修練が必要じゃないの」

という2つの疑問をよく聞きます。

まず、経絡治療は特殊な技術を修得することで接触鍼のみでの効果をだしているわけではありません。

極論すれば穴所に鍼を当てるだけでも効果はだせます。

もともと皮膚への刺激が目的だからなのです。

こう言うと、えっ?と思われる方も多いでしょうか。

じつは、皮膚の感覚受容器からの刺激と、皮下組織の感覚受容器からの刺激とでは刺激が脳に伝わるルートも、効果も違ってくるのです。

ですから、深く刺す鍼刺激とは違う目的のために接触鍼をしているのであって、深刺しの鍼手法を否定しているわけでも、達人技でもって接触鍼をしているわけでもないのです。

当然、深刺の鍼と経絡治療では治効理論も適応症も違ってきます。

適応症は8割方は同じなのですが、1~2割程度、それぞれ得意分野が違います。

ですから経絡治療の基礎を覚えておくだけでも、治療家としての幅が広がりますよ!

鍼灸が本当に医学と呼ばれるためには、もっと学術的に経絡と向き合う必要があるんだ。そのためには鍼灸師一人一人が鍼灸術は人を簡単に死に至らしめる危険な技術であり、同時に人を治癒に導く癒しの技術であることを知らなくてはならない。鍼1本、お灸1壮おろそかにしては危険なのだ。現状が鍼灸業界の正しい姿ではないと思っている。

本会を開催する私の目的は素霊医学成立以前の鍼灸術と成立以後(現在古典鍼灸と呼ばれる医学)の融合である。

「三千年の伝統とか、経絡だの虚実だの言うのって、いいかげん”うざい”よ」
一般鍼灸師、専門学校の学生さんにアンケートをとった結果の声です。長い伝統のある東洋医学(素難医学)、それを基礎とする経絡治療だが科学的ではなく、怪しげなイメージがつきまとう。だが本当にそうなんだろうか?

ここに1個の真っ黒な箱がある。正面にボタンがついている。それを押すと、上面から蛇が飛び出してくる。別な人がそのボタンを押すと、やはり蛇が飛び出してくる。誰がやっても同じ結果となる。

そこにはボタンと蛇のなんらかのつながりがあり、再現性のあるシステムが構築されているが、その中身(仕組み)は分からない。文字道理ブラックボックスになっていて、わからない。

しかし誰がボタンを押しても同じ結果(再現性)なるということは、なんらかのシステムが存在しているのだ。
それが東洋医学であり、仮説として立てられた経絡システムなのです。

過激で実戦向きな経絡治療は、そのシンプルさゆえに逆にあらゆる場面で役に立つ
経絡治療は経絡の虚実の調整に特化した調整技術である。それゆえにシンプルすぎるという批判もある。
だが、ボクシングが技をパンチのみに限定したように、柔道が投げ技のみに技を限定したように、技術を1つに特化するとその技法は突出して進化する。芸術的な領域にまで。

それゆえに欠点も多いが、それを補って余りある利点もある。シンプルゆえに覚えたその日から実践投入が可能なのだ。

またシンプルであるからこそ、あらゆる場面で応用が可能で、他の治療法とも併用できる。あなたの治療技術に新しい視点を与えてくれるとともに、施術の幅を大きく広げてくれるだろう。

経絡治療を学ばないことは鍼灸師として一生涯の不覚である。
経絡治療の技はシンプルであるが、決して底の浅い技術ではない。ボクシングがただ殴り合うだけの浅い競技かというと、そうではないだろう。

シンプルであるがゆえに、奥は深く、目標とするところは遥か孤高の位置にある。

あなたにこちら側の世界に来る勇気はあるだろうか。忠告しておきたいのだが、もし平凡に一生を終えたければ、経絡治療を学んではいけない。

奥深く、先の見えない世界であるがために、あなたは大いに苦悩するはずだからだ。

しかし一歩踏み込めば、そこには躍動感あふれる生命力の世界があなたを待っている。

安心して欲しい、我々は全力であなたが進む道を助けるであろう。

鍼灸師とはなにか?
鍼灸師は経絡の変動を調整するスペシャリストでなければならない。

経絡の変動による疾病は、経絡を調整しないと極端に治癒が遅延するか、へたすると治らないという事態になる。

その調整技術は鍼灸師としての知識と技術を修練したものでなくてはとても使いこなせるようなものではない。

一般向けの健康読本にあるように胃が不調なら足三里などという安易なものでは決してないのである。

今後の日本の医療には経絡変動からみた疾病という概念が必ず大きな流れとなってくるであろう。その時に経絡を扱える鍼灸師がいないのでは話にならないではないか。

これからの鍼灸師は二者に分かれる。経絡を扱える鍼灸師と、経絡を扱えない鍼灸師だ。

あなたはどちらの鍼灸師を目指すのか?

鍼灸師でも覚えておきたい!整体の矯正技術
同じ症状で同じ鍼灸施術、なのに何故か効果が違う?
もしかすると関節調整が足りていなかったのかも知れません

すべての病変が経絡変動を伴うわけではない。

経絡の変動のない症例も少なからずあるのだ。

従って、まず鍼灸(経絡)治療の適応か否かの判別が必要となる。

鍼灸(経絡)経絡治療の適応でない場合、その症状に適切な処置を判断しなければならない。

その対処法の1つとして整体技法は重要な選択肢であり、優れた武器となる。

鍼灸で固まった筋肉・軟部組織を緩めても、あとひと押し足りないことがある。
それは関節の歪み(亜脱臼)調整。

紙一重の差で効果がまるで違うことがあるのです。

学術的に経絡治療を徹底検証する

脈診嫌いの経絡治療
私が鍼灸師資格を取得して20数年が経つ。
鍼灸学校を卒業したときにはなんの根拠もない自信だけがあったが、就職して現場に出ると、当然そんな思い込みだけの自信はあっという間に消し飛んでしまった。とにかく治せないのだ(当たり前だ!)
痛いところに鍼をするだけの鍼通電しかしない治療院に勤務していれば、あるいはもう少し、根拠のない自身は継続していたかもしれない。

しかし、当時の私は経絡や経穴を自在に調整する東洋医学を実践する鍼灸師になりたかった。
そして、現場にでればそんな鍼灸の師に出会えるであろうと、ただ漠然と考えていた。理想の鍼灸術に出会うために、あちこちに見学に行ったが経絡とはなにか?に明確に答えてくれる師にはなかなか出会えなかった。
いま考えれば当たり前なのだが、それでも理想の鍼灸術を追求してみようとしていた。唯一、「鍼灸真髄(医道の日本)」に書かれている澤田健先生の太極療法なるものが理想の鍼灸術に近かったが現代ではその治療法を継承している鍼灸師は皆無で、澤田先生一代限りの名人芸で終わっているということだった。

とりあえず就職するために、仙台の渡辺一男師(星状神経節置鍼法)のもとを訪ねることになったのだが、同師は経絡を完全否定する先生だった。

そこで、やはり経絡を調整する技術に近づこうと仙台市内で開かれていた漢方・中医学の勉強会に参加することした。主催は赤門鍼灸専門学校でも教鞭をとられたことのある小川先生である。ここで漢方の基本的な考えと中医学鍼灸術の基礎を教えていただいた。非常に知識の幅の広い先生で、鍼灸と漢方薬以外にも気学や易、四柱推命、またオステオパシー、カイロプラクティックの技術についても教えていただいた。

そこでは鍼灸術そのものよりも東洋医学の背景にある東洋哲学の考え方を中心に学び、また私自身もそれにのめりこみ、一時期鍼灸よりも易や気学の研究に没頭したことがある。

同時期に中国の黒竜江省から留学に来ている金先生という中医師から気功も学んでいる。
理由は、気や経絡を外部から観測することが出来ないのなら、自分の体の中で感覚化すれば、経絡を感知する技術を開発する糸口が見つかるかもしれないと考えたからだ。

ところでこの時期に経絡治療を学ぼうという考えは、私の中にはなかった。なぜなら脈診が嫌いだったから。つまり脈診嫌いの鍼灸師とは私自身のことだ。なぜ?と聞かれても明確な理由はない。しいて言えば、生理的に脈診が嫌いだった。また主観でどのようにも捉えられる脈診からの情報はあいまいで正確さに欠けると考えていた。客観的に誰にも納得いくようなデータから導き出される経絡の測定システムでないとだめだと考えていたかたらだ。そういう意味では私も科学派鍼灸師と言える。

当時は経絡を否定する科学派、もしくは盲目的に経絡を信じる古典派の二派に分かれていたように思う。経絡を科学的に解明しようとする研究家もいたが結局失敗に終わっているのと、どうも方向性が違うと感じた。

私自身はいずれの派でもなく、ただ古典の世界が正しいことを科学的に証明できたらいいなと考えていたのだと思う。
さて、そんな脈診嫌いの私が脈診流とも称する東洋はり医学会の経絡治療を学ぶことになったのはなぜか?

本音で語る経絡治療

平脈の基準

かつて、左右の寸関尺がすべて揃っている脈を平脈だと思っていた。

だが、そんな脈は無い。

すべてがフラットな脈は生命力の失われた死脈である。

生命現象は微妙なゆらぎの中で成り立っている。脈も同じようにゆらいでいる。
そしてその形は人によって全て違う。顔貌や指紋が違うように。

つまり、その人が本来もっている脈の形が、その人にとっての平脈なんだと思う。

だから脈差があっても経絡の変動があるとは限らない。

よく未病を治すとしてどんな人にも、どんな場合にもその時の脈差をもって証立てするが、治療の必要なんて無い場合も多いと思う。

経絡治療は宗教だ!ってこともないが・・・

陰陽五行論について考えてみる。これってなんのために生まれた理論なんだろうか?

木が火を生む、水が火を剋する、このあたりまでは百歩譲って理解しよう。しかし金が水を生むってのは、のはどうなんだろうか?

金属が水生成しないのは、いまどき小学生でも知ってる。

この話をある先生にしたんだ。(有名な先生なので名前は伏せる)

するとこう言われた。

「でもな~・・・陰陽五行論を否定したら経絡治療が成り立たないから・・・信じるしかないんじゃないの?」

・・・信じるしかないって、そんなことを言っているから経絡治療は宗教だって言われるんじゃないだろうか。

キリスト教会だって進化論を認めたじゃないか。ガリレオにも謝罪したではないか。

経絡治療もいいかげん信じるだけの世界から脱却すべきだ。

ってなことを言うと、お前は科学派だとか、東洋医学の世界観を無視する異端者のように見られてしまう。

まあ、それでもかまわないんだけれど、じゃあ東洋医学の信奉者に質問したい。
「陰陽五行論はなんのために生まれたのか?」

これをつきつめて考えていかないと、本当の東洋医学の世界にも迫れないんじゃないかと思う。

ついでに言っておくけど、私は科学派でもないし、東洋医学の信奉者でもない。

ただの経絡治療家です。

経絡治療はNo.1ではない

経絡治療を1番と思うな!」
と支部員には語っているんだけれども、古い会員さんからは反論がでる。

支部長がそんな事を言ってはだめでしょう!と。

たとえ本音はどうであれ、東洋はり医学会の経絡治療は、なにより1番なんだ、と言わなければならないそうです。

(本音ってなんだよ)と思いつつ、ちょっと意味が違うんだと言いたい。

経絡治療が1番優れた鍼灸術で、すべてを経絡治療の基準で考えてしまうと、いつか必ず手痛い目にあう。

鑑別診断の時に判断に狂いが生じるんだ。

だから常々言うんだよ。

経絡治療は万能ではないし、1番優れた鍼灸術でもない」と。

これは逆にね、経絡治療家だからこそ言えるんだ。

例えば、骨折の患者さんがいる。
この患者さんに本治法をやってる場合だと思うかな?

気を補うのなんのって言う前に整復でしょ?
こういう極端な例をだすと、うなずいてもらえるんだが、それが肩こりや腰痛だったらどうか?

しっかり鑑別して「これは経絡治療の適応症ではない!」と言えるだろうか。

過去に経絡治療の診察、診断法以外の視点から見て、初期の癌や、心筋梗塞を数例だが発見している。

もし気づかずに放置していたら、ひょっとしたら命を落としていたかもしれない。

鑑別診断をしっかりしていくためには、経絡治療がすべてではない、ということを常に頭に置いておかなくてはならないんだ。

初心者だから、ベテランだからという区別はないよ。
百歩譲って学生なら純粋に経絡治療だけを1から10まで順番に学んでいくのもいい。

しかし、現場にでて実際に患者さんを相手にしている人はダメだ。

だって、プロなんだからね。

治療点を直接しめさない弁証をどうかんがえるか?

経絡治療においては一般的に脈の変化を重視していますが、本当に脈が変化すれば経絡の気の流れが整い、病苦の改善に役立つ事ができるのでしょうか?

答えは「否」です。

脈はちょっとしたことでもすぐに変化します。

試しに皆さん、自分の体の適当なこところに鍼先で刺激を与えてみてください。実際に刺入しなくても結構です。鍼先でチョンチョンと突くだけでかまいません。

どうでしょう?それだけでも脈が変化するのではないですか?

試しにスポーツの準備運動みたいに全身ストレッチそしてみてください。脈が平に近づきます。

じゃあ、本治法をするのと同じくらいの効果がストレッチでもでるのか?と言うと、そういうわけではないのです。

このときの脈の変化は確かにあるのですが、効果は持続しません。
気の滞りを解消して脈を整えた場合の脈の変化は、この実験の脈の変化とは明らかに違うものなのです。

単純に脈が変化すれば症状も変化する、というわけではないのです。* 舌診察とのかかわり [#mde58cb1]

日本経絡治療では腹診や脈診にて経絡の虚実を判定する。
これは非常に初学者にはわかりやすい。
中医学のような、小難しい感じの臓腑弁証は何通りもあり、かなりややこしい。
短い診察時間に考えをまとめることは至難の業。

その種類もいろいろだが、
1・臓腑弁証と気血津液弁証を足したような証(腎陽虚)と
経絡治療のシンプルな証(腎虚)との違いは何か?

経絡治療は五行に分けることを重視している。
利点は証が治療経絡を示し、難経にしたがえば、その治療ツボの補寫もわかる。
臓腑の虚実については?である
比較的ざっくりしたカテゴリーにわけ、腎虚の治療はできる。

ただ、せっかく300以上もあるツボを有効に使おうと考えると、さらに細かく分類(弁証)できないのかと欲張って前者のような証を立てる。

ここで、ポイントになるのが、舌診。
八綱弁証にて寒・熱症は非常に分類しやすく、舌診には著明に現れる。そして、舌診は気血津液弁証にとって非常に大切であるが、日本の経絡治療では置き去りにされている感がある。

これを駆使するとたとえば陽虚と出て、あわせて腎陽虚となる

そうすうると、腎陰虚と腎陽虚、同じ虚でも症状はまったく違う。
陰虚はのぼせて喉がかわく。陽虚は寒くて暖かいものを欲す。

こんな間逆な症状を書き出してみると経絡治療の弁証で治療しきれるのかと悩む。

ただ、問題点は、弁証できても活用しきれない点である。
腎とかかわりのある経絡上で陰陽の境目を探すことが必要か?
舌は気血津液弁証を導き、舌は全身の虚実の状態をトータルに映すが、その治療点は導きだせていない。

(前澤)

本治法VS標治法

当院では9割がたの患者に本治法を施している。
そして、本治法だけで帰す患者も1割である。

私は治療家であるとともに、鍼の愛好者である。
治療家である立場から、本治法はとても重要であると知っている。
でも、患者の立場になると、ただ単純に標治法を欲する。
つらいところを触ってほしいし、体はその刺激を本能的に求めていると感じる。

標治法は本治法より活躍してくれる場合もある。
経絡治療にのめりこんだ当初、証にだけとらわれ、
かえって視野が狭くなっていたように思う。
鍼の深さもまねているうちは患者の体はよくならない。
症状の改善がみこめなければ、違う側面から治すことが必要。
やり方さえまちがえなければ、標治法も整体も体に良い作用を示してくれる。

脈も証もとても大切。
だけど、目の前にいる患者さんをもっと広く観察し、
症状が解決しているかをチェックすべきだと、
最近はそう思う。

自分とは違った方法であっても、その根幹にある基本理念が正しいものであれば、それはそれで私にとっては、また新たな学びである。同病異治!先人の教えにある。

(前澤)

経絡弁証と臓腑弁証

経絡治療の証は、中医学のそれと少し違う。経絡の虚実として考えられ、臓腑の虚実については、あまり触れられていない。
五行に分ける時の、肝・心・脾・肺・腎の変動は経絡の病症である。
伝統鍼灸といっても、日本鍼灸と中医学の違いのひとつだとおもわれる。

鍼灸は湯液(漢方薬)とともに東洋医学の1つとして五千年前に中国で発祥し、2千年前に素問・霊枢・難経という古典に書き残され、医療として発展してきました。
その後奈良時代に、鍼灸は日本に仏教とともに伝来し、数々の医書が輸入され、医制もできました。
江戸時代に入って、管鍼法を杉山和一という鍼医が開発し、鍼灸は日本独自に発展していく。

鍼は効きすぎる!?しかし!
「鍼は効きすぎるから、ただ刺せば効果がでる。だからデタラメ鍼がまかり通るのだ」

という意見がある。

その言葉の真意はわからないが、私は鍼はただの針金の尖ったものであって、鍼そのものにはなんの効果も無いと思っている。

ただ、その刺激に反応する生体のシステムが優れているのだ。
そのシステムが効率よく働くように鍼をすることが、私が勉強する目的である。
だが、そのシステムとは経絡の変動があって初めて有効に機能するのである。症状があっても経絡の変動が無い場合、もしくは経絡の変動が主たる原因では無かった場合、経絡治療家(鍼灸家)は鍼にこだわるべきではない。

そこで、物理的な障害に対応する最低限の整体術を修得しておくのも鍼灸師として必要かとも思う。

もちろん、鑑別の時点で鍼灸の適応ではないという理由で、他院を紹介するのも良い。それは自由であろう。

しかし・・・

経絡治療の得意な領域

経絡治療は、なぜ圧倒的な効果をだせるのか?

経絡治療では脈を重視しますが、その理由は気の変動をうかがうためです。

気そのものは、ダイレクトに観察できませんが、その「気」がだんだん象
(かたち)をまとい、姿を現したものの一つが脈なのです。

ですから、脈の動向から「気」の変動をうかがうのです。

そして、その「気」の変動は皮膚接触による鍼でしか調整できない部分があります。

深く刺入する鍼とはまったく目的が違うのです。

深刺の鍼で調整している「気」とは種類が違うものを取り扱っていると考えていただいてもかまいません。

皮膚表面からの気の調整をしたほうが効果がだせる疾患が多数存在します。
だから適応症であれば圧倒的な効果がだせるわけです。

経絡治療はあなたが現在実践されている治療体系を邪魔するものでも否定するものでもありません。

それどころか、あなたの施術能力の幅を広げてくれるものとなることと思っています。

あなたの施術体系にぜひ、皮膚表面からの気の調整を取り入れてみませんか?

あなたの豊かな鍼灸師ライフのために。

鍼灸家と整復術

かつて、ある経絡治療の学術団体を代表する経絡治療家が往診を頼まれた。
手が痛くて動かないから何とかして欲しいという依頼だった。
診察後、その経絡治療家はおもむろに、患者の前腕を握り静圧を加えた。
パキッという整復音ののち痛みが激減し、さらに経絡治療を施し、患者の苦痛を回復した。

経絡治療家といえども経絡の変動がなければ、まず最も有効な手段をもちいて患者の苦痛を取るべきである。

「私は経絡治療家だから揉まない(マッサージしない)」と言い切る鍼灸師の方がいらっしゃるがバカじゃないかと思うし、そもそもマッサージ師の方に失礼である。

あくまで経絡治療にこだわるのは勝手だが、苦痛を耐えるのは患者である。へんなこだわりのために、患者の苦痛を長引かせてはならないと思う。

経絡はわからないと言いきった経絡治療の先生

私「先生、経絡を実感できません。どうしたら経絡がわかりますか?」

経絡治療の大家「経絡はわからないよ(私も)、しかし、あると信じなければ、経絡治療できないでしょう?」

私「信じるんですか?」

経絡治療の先生「信じないとね」

私「・・・」

さて、なにか違和感を感じます。なにかおかしくないでしょうか。
ただ、信じるって、それって宗教じゃないですか?

ここから経絡に対する疑問がはじまりました。

それまでは一生懸命、脈診をやっている先生は気が分かっているのだと盲目的に信じていました。

しかし、改めて冷静な目で回りを見てみると、気や経絡の動きを実感をともなって把握している鍼灸師はただの一人もいなかったのです。

そこから、本当に気を理解している本物の治療家を探すことになったのです。

東洋医学とは原初感覚による生命力の強化である!

経絡治療は流派によって違うのか?

まず、経絡経穴もと実際には無数にあり、経絡図のように数十本の経絡、数百の経穴などではなく星の数ほどある、という前提があります。

そして実際には普段は不活性化しており、病変の際にその症状改善に必要な経絡が活性化します。

ただ、活性化した経絡の中でも施術者の修得技法や修得レベルによって

感知される経穴、必要とされる経穴が違うため、多種多様な流派が生まれたものと思われます。

したがって、経絡治療の流派の差というよりは、各施術者の感応力の差と言っても差し支えないでしょう。

ただ、経絡を実感として感知できない限り、本当の経絡調整はできないと思っております。

経絡とは(その真実と秘密)

経絡は不定型であり、経絡も経穴も無数に存在するが、出現頻度の高いものをまとめたものが、現存する経穴図、経絡図であろうと考えられます。

したがって、新穴や新経絡はいくらでも生まれる素地があると思われます。

経絡経穴は観察者(施術者)の能力によって、その見せる姿を変えると思われます。

また、同様の患者をみても整体師と鍼灸師ではその感知できる経絡は違いを見せると思われます。

同じ鍼灸の修得者同士でもその修得技法によっては感知できる経絡、経穴は違います。

また同じ施術者でもその修行時期、修得技術のレベルにより把握できる経絡経穴は違います。

したがって経絡の調整技術を体系的にまとめることは不可能であり、またその経験を共有することもできないと考えられます。

国や時代、流派によって経絡図が違うのはそのせいでしょう。

それらの理由から経絡、経穴の歴史、その調整技術は文字として伝承されなかったのではないでしょうか。

すべては感覚の世界であるからです。

しかし、その世界は確かに存在します。

気の流れを整える治療法紹介

1、ていしん施術
てい鍼治療
てい鍼とは、鍼という言葉が入っていますが、刺入する針とはまったく違うものです。皮膚表面のツボにそっと当てるだけの治療法ですので、鍼が怖い方にも安心して受けていただけます。
主に小児や妊婦さん、鍼は怖くて嫌だという方は「てい鍼」で施術を受けていただくとよいでしょう。
てい鍼
先端が丸くなっているので、鍼のように刺したりしません。そっと皮膚にあてるだけなので、小児でも心地よく治療を受けられます。

2、鍼灸施術
東洋医学による本格経絡治療

これは現代では殆ど用いられなくなった「気の流れ」を調整する鍼治療のことを指します。

古伝の施術方法は修得に時間と労力が想像以上にかかります。昔の徒弟制度の中で修業しますので現代では修得される鍼灸の先生も少なくなっております。

古流と言いましても国家資格を持った鍼灸師なら現代医学的な考察もしっかりとするはずですし、また施術には非常に微細な鍼を使用し、痛みも無くお子様から高齢者まで、安心して受けていただくことができるでしょう。

使用する鍼は滅菌された使い捨て鍼で、消毒にも十分注意をはらっています。また鍼の刺す深さは約1mm程度ですので鍼が折れる、気胸を起こすなどの鍼灸事故の心配は無用です

六十九難て・・・
経絡治療を習いはじめのころは、ほとんどの症例を六十九難に当てはめて施術をしていた。

虚している経絡を補い、その親経を補う。
でもそのパターンて、そんなに多いのだろうか。

切経で反応のある経穴を拾っていくと思っていたより変動経絡と親経絡の組み合わせの出現頻度が少ない。
陰経より陽経を先に処置したくなる症例もあり、また陰経も補うにしても単一で十分だったり、相剋経絡だったりと様々なパターンがでてくる。

片方の経を補い、反対側の経絡を寫すパターンすらある。

教科書(古典)のとおりに六十九難の証に当てはまるパターンは意外に少ないのではないか。

もちろん検証を重ねていかないと確かなことは言えないが、感覚的には全症例の2割程度かと感じている。

経絡治療(鍼灸)の適応は鍼灸院に来院する患者のうち、何割くらいか?
みなさんは考えたことがあるだろうか?

経絡なんて存在しません
鍼灸師は2派に分かれる。経絡否定派と経絡の信奉者だ。

経絡信奉者の方々に質問したことがある。

気とは何か?経絡とは何か?陰陽五行論とは正しいのか?

私が所属していた学術団体の講師の先生方はこの質問には答えられなかった。そしてこう言ったのだ。

「正しいかどうかは別として信じなければ、経絡治療が成り立たないでしょう?」

信じるって、ここは宗教団体だったのか!?

経絡の存在は今現在の科学では証明できない。

しかし、現象(症例)を集め、分類すると今現在の科学、医学(生理、病理)では説明できない現象がある。

説明のつかない現象に対しては、それに対して仮説を立てることが許されるだろう。

その仮説の一つとして経絡、経穴の存在があるのだ。

信じるから存在するわけではないだろう。

当会では経絡は絶対存在ではなく、説明のつかない現象に対しての仮説として「経絡の存在」を仮定するという立場をとる。

当会の技術は世界一!?
「○○医学会は世界一だよ」

気持ちは分かります。

でも違う。

本当に道を追求する優秀な師は、冗談でも自分が世界一だなどとは言わない。

当たり前ではないのか。

また「○○先生の技術は進化した鍼灸だ」

という方がいて、その師匠の信奉者だったり、その技術を絶対視したりしている。

私も「その先生」の刺鍼技術は達人芸だと思う。
しかし、そこまで達した技術は他人にはマネできない。

例えて言うなら、松井やイチローのバッティングと同じだ。
とくに松井選手のバッティングは彼独特の筋肉の付き方があるから可能なフォームであるらしい。

普通の人が松井選手のフォームを真似たら、あっというまに体を故障してしまう。

以前、「その先生」の進化した鍼を学ぶ勉強会に参加したことがある。
あきらかに不向きな生徒が大柄な体を小さく丸めて学んでいた。

可哀相に見えてしまった。

学ぶ姿勢、真似る気持ちは立派だが、自分なりの技術体系を構築するのも良いのではないだろうか。

〇〇病の治療法は?と聞くあなたに
経絡治療は経絡の変動の調整をする治療技法です。つまり経絡の変動がなければその適応症とはならない。

しかし、経絡の変動があればなんらかの効果はだせる。

それが、どのような病でも同じなのです。

つまり肩こりであっても経絡の変動をともなっていなければ、経絡治療の適応外、難病であっても経絡の変動があれば、なんらかの対処は可能で、変動経絡の調整ができれば、必ず良い結果がだせる。

病名そのものが問題ではないのです。

整体・整復術も同じです。歪みや亜脱臼があっても問題になっている場合とそうで無い場合がある。その歪みが自然律の範囲内であって直接、症状と関係無い場合はなんの効果も出せない時がある。

井の中の蛙という不幸、ゆでガエルという恐怖
鍼灸師の地位は妥当か、それとも不当かと聞かれたらまあ、どちらでもない。

本音を言うなら地位向上を叫ぶ前に、それにふさわしい知識と技術とマインドを修得すべきなのではないかと思っている。

ゆでガエルはゆっくりゆでられると温度の変化に気づかずに死んでしまうという。

鍼灸師も同じだ。なんとか生活できるという環境にひたっていると、ゆっくり死んでいくような気がする。

伝統?伝承?お題目のように唱えられる「東洋医学」という意味不明な医学体系を宣伝文句になんの疑問ももたない鍼灸師。

適当に鍼を刺すんだ、それで効くからと言い切る鍼灸師。
痛いところに鍼を突き刺すだけの行為が医学だと本気で思っているのだろうか?

鍼灸を古典東洋医学だと信じている信者的鍼灸師
鍼灸術は決して迷信でもまじないの類でもない。

その事実だけをとりだせば学術論として議論されるにふさわしいだけのデータを取り出せる。

しかし、いまだ鍼灸業界では鍼灸術がまともに学術論法にのっとって研究されているとは言い難い。自覚すら無い鍼灸師もいるくらいだ。

鍼灸はいまだ未知の技法であり、未来科学なのである

飼い犬のような状態から一度くらいは立ち上がってみないか?
「脈診もするし、経絡治療から中国鍼までなんでできるよ」

こんなセリフを吐く鍼灸師がいる。

なんでもできる、やれるというのは結局どれも中途半端な技術しかもっていないということを自ら認めているようなものだということに本人は気づいていない。

「一通りは学んだが、自分の専門は〇〇だから、〇〇以外はやらないよ」
こう言える鍼灸師はある程度信頼できる。

あなたの専門はなにか?
その技術に経絡治療を選択していただけたら、嬉しい限りである。

では、経絡治療と整体術は矛盾しないのか?結論から言うと「しない」
そもそも違う分野の施術法であるが、それらは相互補完ができる治療技術である。
そして、経絡治療の欠点や矛盾点を補ってくれるのが整体術ではないかとさえ思っている。

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